子どもたちの健やかな成長を

学校・家庭・地域が連携した教育を -第61次

2011/10/22

 特別集会では、宝塚大学教授・大阪市立大学名誉教授の桂正孝さんを講師としてお招きし、記念講演、参加者のみなさまとの意見交換を行いました。
 桂さんから子どもや学校・家庭・地域をとりまく情勢についてのお話をいただき、三者がいかに協働し、子どもたちの健やかな成長にむけ手を取り合っていくかなどについて、ご示唆をいただきました。本集会を通して、子どもたちの健やかな成長のために、学校・家庭・地域が連携した教育活動をめざすことの必要性や重要性について、再確認し合うことができました。

記念講演 「子どもたちの健やかな成長をめざして」
―学校・家庭・地域が連携した教育を―

講師 宝塚大学教授・大阪市立大学名誉教授 桂 正孝さん
<苦悩する子どもたちの問題状況から>

 まず、現代の子どもをどう考えるか、子ども論から考えてみたいと思います。教育を考える時には、子どもから出発しなければいけません。十人十色、百人百色の子どもの暮らしの現実に合わせて教育を考えてみましょう。
 最初に、現在の子どもの教育で気になることを3つあげたいと思います。
 まず1つ目は、今の子どもたちの苦悩の形は、自分探しがうまくいかないということです。自分と絶えずつき合っているのに、なかなかわからない。今よく使う言葉でいうと、立ち位置がわからないということです。その自信のなさから、不登校や社会的引きこもりにつながったり、あるいはいじめという他人を攻撃する形としてあらわれたりしています。わたくしは、今、自分は一体何者なのか、どうしたらよいのか、どんな風に生きていったらいいのか、皆目見当がつかない、よくわからない、そういう子どもが増えてきたということを見逃すことはできないと思っています。
 2つ目は、知的好奇心の萎縮があげられます。人間は他の動物と違って、学習によって多くのことを学んでいきます。これを教育学では、社会的遺伝といいます。その学習、学びということがおもしろくない、という学びに対する拒否姿勢がどんどん強くなっています。「何やねん、おかしいなあ、どうやねん、おもろいなあ、なんでや」という驚き、そういう知的好奇心みたいなものが萎えているのではないかとわたくしは思っています。
 3つ目は、子どもが荒れている様子が見られるということです。80年代に見られた、昔の荒れ方とは違い、今の荒れ方は多様化しています。例えば、不登校や、自らを傷つけ、ひどくすると自ら命を絶ってしまう、といった内側に荒れる子どもです。外から見たら何も見えないのに心の中にものすごい台風が吹いてるんでしょう。たった一人でがんばっているのです。また一方で、非行問題行動など、反社会的な行動をする、といった外側に荒れる子どもも根強く存在します。
 このように、子どもたちが育つ、その育ち具合でいろんな難儀なことが見られると、現代の子どもたちを見ていて感じます。

<グローバル時代の「生きにくさ」に抗って>

 「生きにくさ」は、子どもたちをとりまく状況が厳しさを増していることにも大きく起因していると思います。
 あらゆる現象が地球規模で起こる「グローバル化」が産業構造の空洞化を引き起こす中で、貧しくなっていく家庭が増えてきています。生育環境が貧しくなっていく子どもたちを抱えて、学校現場は奮闘しなくてはいかんというところにきています。これは教員だけではどうしようもできない状況です。他にも高度消費社会・少子高齢化社会・人間関係の希薄化などもあげられると思います。子どもの教育を考える際には、子どもたちが生きる時代の状況をとらえることが必要ですが、そこから見えてくる現状は、これからを生きていく子どもたちにとっては、たいへん厳しいと言わざるを得ません。

<「居場所」は教育実践の基底>

 そういった問題をどう解決していくとよいのか。わたくしは「居場所論」として考えています。教員や親、あるいはいろいろな場面で人を育てている、つまり教育に携わる人は、「居場所」というものを1つの視点として考えてみるとよいのではないでしょうか。先にあげた、さまざまな悩みをかかえている子どもたちは、自分のよりどころである「居場所」を失っているのではないかと思います。
 ここで教育的な居場所という意味で定義をしてみると「安全で安心して生きていくのに不可欠で、自己実現・相互扶助に必要な場所」と考えたいと思います。
 この「居場所」には2つの種類があります。1つは『社会的居場所』です。自分が他者にとって必要とされている、信頼されている、そういう関係をもっているかということです。クラスの中で、あるいは家庭の中で、また会社の中で、自分があてにされていたり、対等なものとして位置づけられていたりする、そして同じメンバーとして扱われているかどうか、ということです。これが『社会的居場所』です。
 もう1つは、『個人的居場所』です。自分の中で、自らの可能性を信じたり、自分というものをどう肯定的に考えたりするかです。自尊感情ともいいますね。英語ではアイデンティティと表現することが近いですね。自分らしさというのでしょうか、「これこそが自分だな」というような自分自身の位置づけです。
 わたくしはこの2つの「居場所」が子どもたちにバランスよくあるといいと思います。1つは、人に信頼されたり、あてにされたり、役に立ったりしているということ、自分もメンバーとして扱われているということ。そしてもう1つは、自分もまあ捨てたものじゃないと思えること。これがいろいろな問題を解決していく足がかりになると思います。この「居場所」という尺度、これを基本にして教育をとらえたらどうかというのがわたくしの考えです。

<「地域コミュニティ」づくり>

 居場所づくりに大きな役割を果たすのが、それぞれの地域コミュニティです。PTAのみなさん、地域のみなさん、行政のみなさん、さまざまな力をお借りして、学校教育じゃなくて学校外のいろいろな教育をどうするか、大人や高齢者も含めた教育をどうするかということが課題です。大阪市では、子どもたちが「育みネット」という形で放課後学校に来て、地域の指導員もいる中で過ごす、という事業を行っています。地域の人が基礎になって活動いただくことで、町づくりもすすめていただいているわけです。
 この地域コミュニティづくりには、3つの要素があるとわたくしは考えています。
 1つ目は自己実現です。自分がやりたいこと、学びたいこと、自分がしたい活動ができるということです。
 2つ目は相互扶助です。これは1000年以上も世間でやってきた伝統、村社会での助け合いです。
 3つ目は公助です。地域コミュニティづくりに際して、いろいろな問題が出てきます。中には個人の自助努力や助け合いだけでは解決できないことがいっぱいあります。そういった時にちゃんと行政や公の力がサポートする、これが公助です。
 3つの要素を合わせて、自助、共助、公助とよく言います。問題はその役割分担と助け合いです。地域コミュニティづくりがすすむと、教育行政も含めて、行政の役割が逆に拡大していくんです。しかし、お金がかかるからどうするか、という問題もそこには含まれるわけですけれども・・・。

<夢と希望がもてる学校生活>

 子どもたちが毎日多くの時間を過ごすのが学校です。学校ができること、すべきこと、限られた学校資源をどこにむけるのか、そういうことを考えたいと思います。
 最初のごあいさつにも、「夢と希望がもてる学校生活」という言葉がありました。教育について、わたくしは、アラゴンという詩人が昔綴った「教育とは 希望を胸に刻むこと」という言葉に胸打たれたことを覚えています。学校教育を重ねれば、真理や真実を子どもたちの心に刻むことができるとわたくしは思っています。
 学校には、出会いがあり、ふれあいがあり、学び合いがあり、育ち合いがある。今国民が共通体験をする場所は、学校しかなくなってきています。かつては地域に出会いや学び合いの場がありました。高度経済成長のときは、企業にもありました。時代の変化とともにそれらは激減してしまっています。
 その限られた学び合いの機会をよりよいものにするために、子どもたちがよい点数をとることだけでなくて、出会いとふれあいの中で、考えることがおもしろい、学びがおもしろい、という授業を、学校を創造していくことが大切です。また同時に、これはわたくしたち教員の一番の願いです。そのために研修や、本日のこの教研があるんです。
 本日の教研はこの特別集会と分科会があると聞いています。案内状を見ますと、先生方はそれぞれの会場にて、27の分科会に分かれて国語や数学、環境教育など、自らの教育実践をもとに討論し合い、高めようとしていらっしゃいます。そこに大学の教授なども助言に関わっていると。こういうことはしっかり続けてほしいと思います。
 また、そこに地域の方が学校現場の必要に応じて、ゲストティーチャーとして入って欲しいと思います。これは地域によってはすでにすすめられているところも多いと思います。さまざまなプロ、スペシャリストが地域にもたくさんいらっしゃいますから、先ほどの「相互扶助」という考えとも合わせて、地域の子どもたちのために手を貸していただきたいと思います。
 

<地域社会の子育て・共生支援ネットワークづくり>

 わたくしの一番の結論は、子育てと共生支援のネットワークをつくることだと思っています。学校内の教育はもちろんだけれども、学校外の教育も大事にしましょうよと。子どもは学校だけで育つのではありません。子ども会であったり、青少年会館であったり、図書館や美術館や博物館など、さまざまな学びの場で自分のやりたい勉強をできる機会をつくってあげるべきです。すべての学びを学校に集中させるのは無理です。学校は、学校でやるべきことは何かをしっかり考えて、やっていくべきであると思います。
 その地域子育てネットワークづくりには、タテ、ヨコ、ナナメ3つの面があるというのがわたくしの主張です。
 タテのネットワークは、保育園・幼稚園から始まって、小学校、中学校、高等学校などの校種にあわせて、学童保育所や保護機関も含めた、教育機関の情報交換をはじめとした連携です。幼・小の連携や小・中の連携は、すすめられています。
 ヨコのネットワークは、学校と家庭の連携を主軸とするPTA、また町内会や児童館など、地縁関係の連携です。大きな行事をサポートしていただくことも多いと思います。
 ナナメのネットワークは、児童相談所や社会教育施設などの専門機関や各分野の専門家と、校種との連携です。他にもNPO、NGOもありますし、メディアもそのネットワークに属すと思います。教員ではわからないことについても、その専門性を生かして力を発揮していただくことがあります。
 今の社会の学校づくりには、いろいろな力がいるのです。そして、最後は開かれた学校づくり、さらには町づくりとして考えていきましょう。
 最後にちょっと、子どものおもしろい詩を2編紹介します。「何で夏休みがあるか」、小学校1年生の詩です。

  何で夏休みがあるか言うたらなあ

  学校皆ずっとやっとったらなあ

  子どもだけ賢うなって大人抜いてまうやんか

  こんなことを考える子どもがいるのかと、わたくしは吹き出しました。何度読んでも笑ってしまいます。「先生」、小学校2年生の詩です。

   先生は学校では何で怖くて

  家庭訪問のときは優しくするんじゃ  

  言うてみい

  この感覚がよいですね。これを言わせるだけの居場所があるってことなんです。子どもと大人が役割を超えて対の関係を結んでいるではないですか。これが教育の自由でしょう。自由だから子どもの感性が光り、いっぱい出てくるんです。先生もその言葉をたくさん生かしてあげてると思います。いっぱい感動があるのです。そういうものを大事に育てて、感性を磨いて磨いて、理性にしてやっていきたいと思うのです。そこに、価値を見出していきたいと思います。
 現在も、競争をさせて学力を伸ばそうとする考えがいまだ根強く残っています。子どもは競争しただけで勉強する子もいれば、もっとおもしろいからやりたいとか、大人の都合や大人の基準でないものにいっぱい興味をもつ子どもがいるわけです。子どもというのは、何も受験社会に生きるだけを目標にしているわけではないのですから。わたくしたちはこういう子どもの姿に励まされながら、もっと子どもの夢や希望を大事にしていきましょう。


                   講演をする桂正孝さん

意見交流

保護者

 今年、小学校の学習指導要領が変わりまして、「ゆとり教育」からかなりペースの速い授業へと変わったと感じています。勉強量も増え、子どもも親も戸惑いを感じています。これから、中学校、高校、また大学へとすすんでいく中で、親としては詰め込み教育がよいか悪いかというのはわからないですけれども、気になるのはやはり点数というところです。そこで、お尋ねしたいのですが、現在、社会に出るまでに必要とされる力、また社会に出てから必要な力が、若干違っていると感じるときがあるのですが、親としてこのあたりをどのように考えていけばよろしいでしょうか。

桂さん

 グローバル社会、さまざまな変化をする社会に適応するためには、字を読む、計算するなどの基礎学力がもちろん大事です。でも基本学力もものすごく大事になってきました。読解力、科学、それから問題解決能力などです。OECDもPISA調査の次に、もう1つ先の学力を考えています。キー・コンピテンシーと言い、日本語では熟慮、洞察力という意味です。深く考える力というのが一番の中心だと。そのための基礎学力も必要ですし、日常生活で身の回りの問題をどう解決するかという具体的なものさしで、さらに新しい学力観が考えられているようです。わたくし自身、どれがいいよというのは、子どもによっても状況によっても違いますので、これですとは言えません。ただ、自分の人生を自分で切り開くという気持ちを育てたいです。そして、必要なときはいろんな人から学びたいという、柔らかいセンスをもつべきだと思います。子どもたちにはそういう力をつけたいと思っています。

カテゴリー:子どもたちの健やかな成長を, 教育研究愛知県集会<特別集会>    

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