子どもたちの健やかな成長を

学校・家庭・地域の協働-未来を担う子どもたちのために- 〈 第67次 〉

2017/10/21

 特別集会では、プール学院大学教授の長尾彰夫先生からご講演いただき、参加者との意見交流が行われました。
 長尾先生からは、「子どもたちの健やかな成長をめざして 学校・家庭・地域の協働-未来を担う子どもたちのために-」と題してお話をいただきました。本集会を通して、子どもたちの健やかな成長のために、学校・家庭・地域が連携した教育活動の重要性を改めて確認し合いました。

 記念講演
 意見交流 

記念講演:  子どもたちの健やかな成長をめざして
          学校・家庭・地域の協働-未来を担う子どもたちのために-
講   師:プール学院大学教授 教育学部 長尾 彰夫先生

                        

 

学習指導要領の改訂

 学習指導要領の改訂が話題となっています。その中で、アクティブラーニングやカリキュラムマネージメント、そして、小学校の英語の教科化などありますが、今度の学習指導要領の改訂は社会に開かれた教育課程を理念としています。そして、コミュニティスクールの導入が努力義務とされました。コミュニティスクールは、全国の小・中学校約30,000校の内の15%から20%ぐらいに導入されていると統計上ではいわれていますが、コミュニティスクールは学校運営協議会をつくって保護者や地域の人々の意見を聞きながら学校をつくっていこうという政策なのです。その中で、学校・家庭・地域の関係をどのように構築していくのかが政策的課題になっています。一般的に、学校・家庭・地域が連携する、協力するというのは重要です。そこで、どのように連携するのか、その留意点について、わたくしの考えを示させていただきます。

 新学習指導要領の改訂により、移行措置として、来年度からは小学校中学年で外国語活動が導入され、2020年度には高学年で教科としての英語が導入されます。そして、2018年度は道徳も教科となります。小学校は、中学校とほぼ同じ授業時数になります。今の学習指導要領では、小学校の英語は、外国語活動となっており、今は教科として取り扱われていません。教科となると9科目ということになり、これは子どもたちにとっても教員にとってもたいへんな負担となります。なぜこんなに英語を取り上げるのでしょうか。これはオリンピックなどで海外からお客さんがお越しになった際に、英語の「How are you?」の一つも話せなかったら困るのではないかという意見があります。さらに、英語が取り上げられた要因の一つに、近い将来、英語教育を必要とするグローバルな社会が訪れるという考えがあります。ところが、2017年3月に告示された新学習指導要領では、小学校は全面実施が2020年、中学校は2021年です。大体10年間学習指導要領は続くことになっており、2030年までを想定するという改訂になっています。

 

2030年問題 

 そしてこの2030年問題というのがテーマになっています。2030年は、どのような時代なのか。中教審では、2030年は非常に見通しがつかない時代になるとしています。例えば、主体的で対話的で深い学びであるアクティブ・ラーニングです。学習はいつでもアクティブであり、言ってみれば当たり前のことです。それにもかかわらず、アクティブ・ラーニングを導入するとした理由は、「本来あるべき学習のあり方を大事にしましょう」「カリキュラムマネジメントも、カリキュラムを絶えず見直しながらやっていきましょう、改善していきましょう」ということなのです。なぜそのようなことを改めていうようになったかというと、見通しがつかないからです。これをやっておけばよいということが不明確な状況では、学習の中で本質的な主体的で対話的で深い学びが必要になってくるのではないかということが背景にあるのです。だから、当初の学習指導要領の改訂案には、アクティブ・ラーニングやグループ学習の具体の一部を文部科学省が示しました。しかし、これさえやればアクティブ・ラーニングだと誤解が生じる可能性があるということで、新学習指導要領の中からはアクティブ・ラーニングという言葉はなくなりました。これは本質的なことを大事にしてほしいというねらいを、より正確に伝えるためにパターンを示すよりは、むしろ学習の本質化をめざそうということになったのです。どの教科においても知識だけを知っていたらよいというのではなく、「何を知ったか、どのように知ったかも大事にしよう」「資質、能力も大事にしよう」と示されています。また、内容も以前に比べかなり改善され、今度の新学習指導要領はかなり大きな改革になっていると思います。知識はもちろん、思考力、判断力も大事ですが、資質、そして、人間の能力を大事にする教育課程をつくっていこうという大きな転換がみられます。それから学習の本質化、大事なことはアクティブな学習であり、カリキュラムを絶えず現場で点検していく必要があるとしています。

 見通しのつかない、見通しがなかなか立ち難い社会がきている、よほど深刻に考えておかなければならないと思います。例えば今の小学校の子どもたちが就職するときに、現在の仕事の61%は新しい仕事となっており、多くはその仕事に就くといわれています。逆に、現在の仕事は、どんどん無くなっていくといわれています。2030年に存在しない仕事、存在する仕事があって、AIがどんどん出てきます。タクシーやバスの運転手も存在しなくなる率の非常に高い仕事です。逆に存在する仕事もあるのです。2030年になっても教員の仕事は90%以上の高い率で生き残るとされています。生き残る理由は機械に任せておくことができない仕事だからです。現在においても学校現場では、予測がつかないことがたくさん起こっているでしょう。これをやっておいたらうまくという世の中ではなくなってきたということなのです。

 

「生きる力」と「学力」 

 新学習指導要領の中で学力のあり方について、知識は大切であるが、知識だけではなく資質、能力も大事だといっており、生きる力も大事だといっています。生きる力という言葉が出てきたのは1988年から90年、「総合的な学習の時間」が導入された際に、文部省は盛んに生きる力といったのです。生きる力というのは、文部省の公式文書によれば、英語で「zest for living」と言います。「zest」というのは情熱です。生きるための情熱が生きる力。生きる力というのは「変化の激しいこれからの社会を生き抜くために必要な資質、能力」と、文科省のホームページの中で示されています。どれだけ人間が知識を蓄えてもAIに負けるでしょう。知識だけ詰め込んでも資質、能力の問題があります。変化が激しい社会、これが一番の問題であり、変化の激しい社会を生き抜くために必要なものは単なる知識ではないといっているのです。

 学校・家庭・地域の関係において、どのような連携があると思いますか。学校は勉強するところ。家庭はしつけをするところ。では、地域は何か。地域の役割がよくわからない。しかし、学校・家庭・地域は連携しなければいけません。学校における役割の中心は学力形成だといわれてきましたが、その学力のあり方そのものが、大きく変化してきているのです。学力というのは、新学習指導要領でも知識をため込んでおくというような学力ではいけないとしています。だから新学習指導要領は知識や技能にかかわるもの、思考力を育てる判断力、それから人間性にかかわる力の3層構造が必要であるともしています。

 今までは学力というと、極端に言えば知識を早く理解して覚え込み、受験に役立つというような学力が主として念頭におかれていました。これは受験学力と呼ぶこともあります。知識を早くため込む記憶力を中心にして反復練習して再現する、これが高い学力であると考えられていました。日本の教育を変えようと思ったら、大学入試を変えたらよいといわれています。ところが、大学入試を変えるというのは、なかなか難しいのです。また、高い学力をもっていたら、なぜ社会で優位になっていくのか、よく考えてみなければならない話です。

 例えば、決められた時間にきっちり仕事をする、いわれたことは必ずやる、そのような資質、能力を身に付けていなかったら一流大学には入れない。覚えろといわれたことは覚える、決められたルールに従うような人たちは、企業でも役に立つといわれていました。30年ぐらい前までは、それでよかったのです。だから、一流大学に入った学生を企業は採用して、終身雇用と年功序列で企業を支えていくということで企業は維持できたのです。学校での3R(ルール、レギュレーション、ルーティンワーク)に耐えることができる子どもたちを雇っておけば、企業としては間違いない、このような形で企業の発展は担保されていた時代があったのです。

 今は、それが崩れてきているのです。一般企業でも、学歴は書かせても、どこの大学卒というのは書かせない企業が出てきています。いわれたことだけをきっちりやるというのは、必ずしもその企業にとってメリットにならない時代になってきました。その結果、学力のあり方は、揺らいできています。近い将来、これさえやっておけば、一生涯保証されて一旦その企業に入ったら潰れない限り勤めることができるということはなくなると思います。そして、今後は就職したら、一生勤めて何年後には課長、何年後には退職金がいくら、そんなことはわかりません。少子高齢化で、先行き不安な、見通しがつかない時代になってきているのです。だから、ある意味で学校にお任せしておけば何とかなるという時代ではないのです。学校の学力だけで生きていけるというような時代ではなくなってきていることに、早く気付かなければならないのです。だからといって学校で身につける学力が意味がないといっているのではありません。学校の学力にはもちろん大事なことがありますが、学校でしかできないこともある一方で、学校ではできないこともあるということを考えておく必要があるのです。

 

学校・家庭・地域の役割

 家庭には学校とは違った論理があります。家庭の論理というのは、実は学校の論理とちょっと違うところがあります。学校の論理というのは、みな同じようにすることです。みな同じように教えます。そして、答えが決まっていることが多いのです。ルールがある、答えがあることを「学校の文化」といいますが、それは極めて正しいけれども画一的です。学校の性格、特色として存在するのです。なぜかというと、授業の際に「好きに考えてごらん」と子どもたちに投げかける場合がよくあると思います。国語でも算数でも、「この主人公になったつもりで考えてみよう」「自由にいってよいんだよ」と。子どもは本気で一生懸命考えます。しかし、そのうち子どもたちは、このように答えたら正解だということが読めるようになります。それは、間違いとかではなくて、学校はそのような場所であるということです。正しい答えをしっかりとみな平等に教えていくという場所が学校なのです。

 ところが、家庭では正しいことが正しくないこともあるでしょう。家庭と学校の論理が違うというのは、例えば、学校では正しい答えが一つあり、みながそれに合格することによって点数がついていくということだから、学校では正しい基準があって比べることができるのです。家庭では兄は60点、妹は30点のように点数はつきません。家庭で一番大事なことは、それぞれの子どもをかけがえのない存在として扱うということです。だから学校では出席番号がありますが、家庭で出生番号はありません。一人ひとりの名前をつけます。それぞれの親の思いがあります。思いが反映してるのです。それは、こういう子どもになってほしいと、個性や多様性を認めていくことを家庭では大前提にしています。だから子どもが家庭で怒る場面として多いのは兄弟姉妹で比較されたときです。家庭の中では比較されたら子どもにとってはものすごく大きなダメージを受けます。それは、家庭ではそれぞれかけがえのないものとして扱ってもらっているということが実は暗黙の前提になっているからなのです。だから家庭が学校と同じように扱ったら、問題が生じ、豊かな、健やかな成長につながらない危険性があるのです。しかしながら、日本の学校においては、このような家庭の役割の一部を担っている状況にあり、日本の学校の役割が非常に肥大化している原因の一つです。

 家庭と学校の違いについてはご理解いただけたと思いますが、問題は地域なのです。これからは学校運営協議会ができ、コミュニティスクールというのをつくっていくということが政策として出されています。これは努力義務として掲げられ、法的にコミュニティスクールを追究していくことなのです。学校と保護者と地域の方々が学校運営協議会をつくり、そこで学校教育の目標やさまざまなことについて合意します。問題なのは、教員の人事についてもそこで検討することができるという法律となっていることです。確かに学校と家庭と地域が連携して協力する必要性はあると思います。だからコミュニティスクールは間違いであるとは考えません。それはあるべき方法の一つだと思います。しかし、いくつか危険な点があるということを、知っておかなければなりません。

 保護者が学校に参加することや地域が学校に参加することで気をつけなければならないのは、学校が耳を澄ませて聞かなければならない保護者の声というのは、学校から最も遠い所にいる場合があるということです。学校運営協議会は日曜日に開かれるとは限りません。そうすると、昼間に来ることのできる一部の人の意見だけで決まってしまう危険性があります。その意見がよくないというのではなく、意見の集約方法をどのようにしていくのかを同時に考えていく必要があり、学校はさまざまな意見をしっかりと受け止めなければなりません。

 

新しいコミュニティの形成

 さらに、日本の場合、地域というのは校区、行政区となっており自分で選ぶことができません。校区として、行政区として、地域は存在していくことが前提となっています。行政区では、一定の価値観やものの考え方が共通してできているとはいえません。行政区は線を引いただけであり、そこに教育の理念や、子育ての方向性が共有されてその地域に住んでるというのではないのです。ましてや、昔の地域ではありません。昔の地域というのは、労働の母体、つまりみなが一緒に働く中でコミュニティが形成されました。生活の基盤があるから地域があり、地域の仕事をたくさん担っていました。それは文化の背景だけではなく生活の背景も共通するものがあってコミュニティが形成されていました。現在の都会では、ゴミを出すルールが決められている、その程度です。だから地域と学校と家庭の協力・連携といっても、すぐにはできないのです。では、地域と学校の教育の連携というのはできないのか。それは違います。今ある地域は、コミュニティではないということを前提にして、コミュニティになるにはどうしたらよいかということを、これから考えていかなければならない、つくっていかなければなりません。だから、学校・家庭・地域の連携といって、学校はそのまま、家庭は今あるそのまま、地域は今の地域そのまま、それが連携して話し合いをしても、さほどポジティブなことは出てこない危険性があります。つまり、学校も家庭も地域も変わらなければいけない、新しい地域づくりをしていかなければいけないのです。家庭は何でも学校に任せておけばそれでよいという話ではありません。学校も何でも抱え込んで、すべてを学校で処理できると思わない方がよく、これは家庭に任せるというような、それぞれの役割をもたせ、チーム学校として築き上げていくことが必要です。学校でできることと、できないことをはっきりしていこう、学校でできないことは、学校以外の人に頼んでいこう、これがチーム学校の1つの発想です。これもさまざま問題があるかもしれません。学校も、保護者も、地域も新しくつくり直されていく。そのような中で、コミュニティスクールは、それぞれが変わっていくという契機を一緒にもっていなかったら、連携もできないのです。それをやらなければ、家庭は学校の下請けになったり、家庭は学校にお任せになったり、地域は文句はいうけれども、地域としてコミュニティとしての協同的な価値観や願いがなく、ただ地域がテリトリーとしてあるだけになります。コミュニティというのは、それぞれのエリアとしては融通であり無形です。だからこのコミュニティスクールが、学校の教育にかかわる際、まずはそこでの共通すべきもの、共通すべき価値、共通に大事にすべきもの、共通のルールとして守っていくものが何かということをつくっていくことで、学校・家庭・地域の連携の突破口が見えてきます。

 

子どもたちの健やかな成長をめざして

 「これからの社会に開かれた教育課程、学校をつくっていくには地域と共にある学校への転換をはかるため、すべての公立学校はコミュニティスクールとなることをめざして組織をいっそう推進、加速していくこと」と答申に出ています。今はまだその導入は20%に及ばず、導入されていてもかなり形式的にやっている所があります。しかし、政策的にはこれが教育改革の中心だといっています。その中で教育課程というのは、先行きが非常に見えません。2030年にどうなっているかわからないことも含めてこれから社会に開かれた教育課程(カリキュラム)、コミュニティスクールの必要性が出てきています。そのコミュニティスクールは、学校運営協議会をつくって、それぞれの代表が学校教育の目標について合意しましょうということになっていますが、それにはいくつかの前提があるのです。その前提を飛ばしてしまっては、子どもたちの健やかな成長どころか、子どもたちは学校でも家に帰っても同じことをいわれ、地域でも同じことをいわれ、がんじがらめになっていってしまう、それは未来を担う子どもたちのためにはならないということをおさえておかなければなりません。

 

 

意見交流

○ 保護者
 わたくしは高校1年生と小学校4年生の子どもをもつ母親です。自分たちが子どもの頃の学び方と、今の学び方が随分変わってきていることを感じました。そしてさらにこれからはもっと変わっていくんだということも感じました。変化の激しいこの社会を生き抜いていく子どもたちを、今育てていますが、家庭では、その資質や能力を育てていくために、どのようなことができるのか、教えてください。

○ 教員

 わたくしは教員ですが、コミュニティスクールをめざしていくと、どのようなコミュニティをつくっていけばよいのか、真のコミュニティにしていくために必要なことは一体どんなことなのか教えてください。また、2030年の社会は見通しがつかない社会とおっしゃっていましたが、どのようになっているか、教えてください。

 

○ 長尾先生 

 家庭で何ができるかということですが、それはそれぞれの家庭で違います。ただ、一般論としていえることは、家庭は学校とは違うというように、家庭に居場所をつくってあげることが大事ではないかと思います。家庭では、その子にしかないよい所をどれだけ見つけてあげるかということに目を向けたらいいのではないかと思います。家庭ではよい所を大人が探してあげることが大切です。

 それぞれコミュニティは何かということを考えていくことを大事にしてください。それを具体的にどうするのかということを考えるのがみなさんの役割です。

 2030年、どんな社会か。見通しがつかない、予想できない難しいことがたくさん出てくる、それが現場です。だから「学習指導要領にこう書いてあるから、この通りにやったらうまくいく」と思わない方がよいと思います。学校でも家庭でも子育てにしても、子どもというのは難しく、多様で個別的です。だから国が言うことは見通しがよいけれども、現場はそううまくはいかない、実際の家庭もうまくはいかない、そのことを覚悟した方がよいと思います。これさえやっておけばうまくいく、そのようなことはありえないと思います。

 

 

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