子どもたちの健やかな成長を

創造しよう 夢と希望あふれる教育 -第59次

2009/10/31

 特別集会では、愛教組からの基調提案、前愛教組委員長の齋藤嘉隆さんを講師としてお招きしての特別講演、参加者のみなさまとの意見交換を行いました。
 愛教組からの基調提案では、ゆたかな学びを通して育む「生きる力」の意義、それを育むための学校・家庭・地域のあり方について提案しました。
 特別講演では齋藤さんから、子どもや教員をとりまく情勢についてお話をいただき、今後めざすべき方向性についてご示唆いただきました。
 意見交換の場では、保護者や教員、地域の大人としての立場から、それぞれが抱える課題や連携強化のために必要なことを明らかにしていきながら互いの理解を深め、子どもたちの健やかな成長のために、学校・家庭・地域が協働した教育活動の発展をめざすことを確認し合いました。

愛教組からの基調提案

 変化の大きな現代社会。この社会を生き、そしてこれからの社会を支えていく子どもたちに今求められている力は、「知識」や「技能」だけではありません。
 愛教組は、子どもたちに身につけてほしい「生きる力」を「今まで得た知識や経験をもとに、自ら課題を見つけ、判断し、行動する力、学ぶ意欲を含めた総合的な力」ととらえています。この「生きる力」を身につけるために、次の2つの力を育てることが特に重要と考えました。
 「子どもたちが学習をすすめていくために必要な、しっかりとした基礎・基本」
 「一人ひとりの子どもたちが学び方を学び、身につけた基礎・基本を活用していけるような、生活・社会で生きてはたらく力」
 わたくしたちはこの2つの力を身につけさせることを含んだ学びを「ゆたかな学び」と呼び、子どもたちを中心にすえた、実践及び研究をしています。

 では、しっかりとした基礎・基本を身につけるためには何が必要でしょうか。生きてはたらく力を身につけるためには何が必要でしょうか。
 わたくしたちが考える最も大切な前提の1つに、子どもたちに自分からすすんで学ぼうとする意欲をもたせることがあります。子どもたちがすすんで、そして実感を伴って知識や技能をしっかりと身につけていくよう、わたくしたちが学びの内容をよりよくしていくことを大切にしなければなりません。
 子どもたちが身近な地域の人々・自然・文化などと直接かかわりながら、学び方を学び、身につけた基礎・基本を活用して、身につけた力をより確実なものにしていくような学びが重要です。

 では、わたくしたち教員はどのようなことに取り組まなければならないのでしょうか。
 1つ目として「学びの質を追究する」ことがあげられます。受動的に知ったり、覚えたりするだけの知識が教え込まれてしまうような学びではなく、子どもが意欲をもち、自らすすんで取り組み、「学ぶ喜び」や「わかる楽しさ」を感じる学びが大切です。教育のプロとして、毎時間の授業において身につけてほしい力をよく考えて、子どもたちの学びの質を追究していかなければなりません。
 2つ目として「学校・地域の特色を生かす」ことがあげられます。地域には、かかわりを通してはじめて感じる人のぬくもりや教科書では味わえない本物のすばらしさや巧みさ、現在に伝えられ、また後世にも伝えたい歴史や伝統があります。子どもたちにとって身近な人・自然・文化などの中から、よりよい教材を見つけ出す努力が必要です。また、地域の特色を生かしたかかわりは、地域への愛着から子どもたちの意欲や思いを高め、自ら課題を見つけ、判断し、行動する力の育成につながると考えます。
 学ぶ喜び・わかる楽しさのある学びをつくるのに必要なのが、子ども一人ひとりがじっくりと考える時間の「ゆとり」と、人・自然・文化などとの「ふれあい」です。つまり、「ゆとりとふれあい」が必要なのです。

 子どもの健やかな成長のために、学校では「学びの質を追究し、子どもたちの学ぶ喜び・わかる楽しさを保障する教育課程編成活動をすすめる」「学校・地域の特色を生かし、人・自然・文化などとのかかわりを大切にした創意あふれる教育課程編成活動をすすめる」の2点を重点に教育研究活動を行うことが必要です。
 また、学校は子どもたちにとって「集団生活を通して社会性を身につける大切な場」でもあります。一人ひとりの子どもがゆとりをもって、人とかかわり合い、ふれあう中で社会性を身につけられる環境を整える必要があります。
 家庭ではどのようなことができるのでしょうか。
 まず、何と言っても基本的な生活習慣を身につけさせることがあるでしょう。あいさつ、身だしなみ、食事の仕方など、家庭生活を通して身につけることはとてもたくさんありますし、すべての生活の基本とも言えるでしょう。
 もう1つの家庭の重要な役割、それは子どもにとって安らぎの場であるということです。子どもたちは家を出ると友だちと話したり、笑ったり、勉強したり、運動したりするなど精一杯がんばります。子どもたちのあのエネルギーの源は、家庭にあるのではないでしょうか。子どもをあたたかく見守り、がんばりを認めてくれる家庭、ときには励ましも必要かもしれません。子どもたちに愛情を注ぎ込み、安らぎのある家庭であってほしいものです。
 地域はどのようなことができるのでしょうか。
 子どもたちに目標をもってもらおうと、地域のみなさんに協力していただいている活動の例として、中学生が行う職場体験学習があげられるでしょう。職場体験学習を終えた子どもたちは、たくましくなって帰ってきます。教室では学べない何かを子どもたちは身につけてくるのでしょう。
 地域の活動に参加することも子どもたちを変えていきます。学校では体験できない年齢が大きく異なる人とのかかわりを通して人とのかかわり方を学びます。子どもたちが社会人になるとき、その経験は必ず生きてくることでしょう。しかし、残念ながらそのような機会が減ってきているのも事実です。子どもたちに地域の一員としての自覚を促す、地域活動の充実も望まれるところです。

 愛教組は、子どもたちが地域の一員としての自覚をもち、学校・家庭・地域とともに人・自然・文化などとふれあいながら、「生きる力」を身につけることができるよう、学校現場からの教育改革を推進し、地域に根ざした教育課程編成活動をすすめていきます。

特別講演

 今、学校や教員をめぐる状況は、たいへん厳しいです。先生方の給料は減り、仕事内容は以前と比べて多岐にわたるものとなりました。世間の見る目も厳しくなり、服務上のこともたいへん厳しくなりました。
 先生方の立場は、専門性を発揮して、「やっぱり先生はすごいなあ」と子どもにも保護者の方にも信頼してもらえるようでなければなりません。そのためには、2つのことが必要と考えます。
 1つ目は、やはり教員が授業のプロとして、本当にわかりやすい、楽しい授業を行うことだと思います。2つ目は、子どもの心を理解できる先生方でないと、子どもたちに夢や希望を語ることができないと思います。
 今、この教育研究集会では1000人以上の先生方が、各分科会に分かれて勉強中です。それぞれ実践報告を持ち寄って、研修をしているのですが、先生方も自分を磨く場としてこの研究集会に参加をしていることを、ぜひ保護者のみなさんにもご理解いただきたいと思います。また、分科会の会場を覗いていただき、先生方がどのような実践交流をしているのかを見ていただきたいと思います。

 社会全体が変わり、企業全体の倫理がたいへん厳しくなってきました。一般的に社会で働いていらっしゃるみなさんは、サービスをする側、受ける側という関係の中で、特に厳しい環境にあります。
 学校の先生方も、そのような世の中の状況や厳しさなどをわからなければいけないと思います。そういった状況を共感していく中で、保護者の方とのさまざまな関係も改善していくのではないでしょうか。

 子どもたちの仕事、本分は何でしょうか。たぶん多くの方が、勉強だと思っているのではないでしょうか。
 最近の子どもたちは、本当によく勉強をします。しかし、長時間、難しい勉強をしていますが、勉強以外のことで頭を使わなくなったとも思います。
 日常生活のさまざまな場面で考えさせたり経験をさせたりするということは、とても大事なことだと思いますし、日常生活の習慣づけが、ひいては学力の向上にもつながってくると思います。
 ある方の次のようなお話を聞きました。ある日、自分の子どもが自転車に乗って10分かかる図書館に行きました。しばらくして、子どもから「勉強しようと思って用意していた問題集を家に忘れちゃった。持って来て」と電話がかかってきたそうです。さて、みなさんだったらどうされますか。その図書館までは車で3分、往復でも10分足らずで行けます。たいていの方は持っていかれるのではないでしょうか。
 その方は、このようなときにこそ、「自分で取りに来なさい」と言える保護者であってほしいとおっしゃっています。そう言われた子どもは「本当に嫌だ。お母さんは冷たい」と言うかもしれません。しかし、何年か経ったのち、「そういえばこんなことがあってさ、うちのお母さん、こういうことには本当に厳しくってさ」と、誇らしげに話すようになるとわたくしは思います。
 このような絶妙な感覚をもち、家庭における教育の機会を逃さない保護者の方って、本当にすばらしいと思いませんか。

 ゆとり教育について少しふれたいと思います。ゆとり教育の必要性が叫ばれた頃、学習指導要領が改訂され、指導内容も減りました。土曜日の授業もなくなりました。土曜日が休みになって「先生はいいね」と言われましたが、これは少し違うのです。労働時間そのものが減ったわけではないのです。むしろ、平日にやりきれない仕事を休日にやっている先生は、当時より増えたように感じます。
 ゆとり教育の象徴のように言われたものの1つに「総合的な学習の時間」があります。学校や子どもたちの実情に合わせて、何を題材にしてもよく、評価も数字で出す必要がありません。この「総合的な学習の時間」について、このようなことを言っている方がいます。「先生は自分の経験によるレシピをもっている料理人。自分が経験や勉強をして、自分なりのさじ加減でうまい定食をつくって子どもたちに提供してきた。それがある日、突然レシピや献立もなく、子どもの好き嫌いに合わせてうまい料理をつくることになった。材料は適当に地域や学校で探す。教科書はもちろんない。これが『総合的な学習の時間』だ」と言われるのです。
 学校現場では、外国語活動をしたり、学校行事を授業でアレンジしたり、環境教育をしてみたりしたのです。誰も食べたことがないからうまいのかまずいのかもわからない。そのような状況のなか、さまざまなことで指摘を受け、結果として新しい教育課程の中ではその時間が削られ、風前の灯にやがてなろうとしています。
 料理人として考えるのであれば、もう少し修行の時間やきちんと考える時間があったり、現場での内容の熟成を待ったりしてもよかったのではないかと思います。

 今、学校にはさまざまなものがもち込まれています。環境教育や外国語活動、道徳心の慣用、ボランティア活動などです。いろいろなことを学校を通じてやってはどうかという提言がされてきたのです。
 最初に申し上げましたが、先生は授業をきちんとやらなければならないのに、むしろそうではないところでエネルギーを使わざるを得ない状況も出てきてしまっているのです。
 時間も力も限られているわけですから、何か新しいものが入ってくると代わりに何か削らなければなりません。それは先生が子どもたちと話をする時間だったり、子どもたちどうしで外で遊ぶ時間だったり、とても大切だったものが、学校教育から少しずつなくなってきているのです。
 子どもたちのゆとり、それから学校全体のもっとゆったりした時間の流れを取り戻すために、わたくしたちはさらにがんばっていかなければと思っています。

 学校・家庭・地域の三者が力を合わせましょうと言われて久しくなります。しかし、未だに言われているということは、なかなか連携がすすんでいないことのあらわれだと思います。それは個々の責任ではなくて、社会の構造が大きく変わってくる中で、それぞれがそれぞれの力だけでは成り立たなくなってきたからだと思っています。
 連携をすすめるためには、2つのポイントが大事だと考えます。1つは正確な情報を伝え合うこと、もう1つは何か共通の目標をもつことです。
 今までうまくできてこなかったのは、共通の目標があまりに抽象的過ぎたからです。たくましい子どもをつくるとか、明るい子をつくるとか、何をするのかという具体性が見えてこない、そんな目標が多かったのではないでしょうか。ですから、例えばあいさつや環境美化のことなど、具体的な目標を学区、保護者、学校が話し合ってつくっていき、後は地域の実情に合わせていくことが、連携の第一歩になるのではないでしょうか。

 本日は働く仲間のみなさんもいらっしゃるので、そういった方々にもお話をしたいと思います。
日本では6歳未満の小さい子どもをもつお父さんが家事にかかわる時間は1日平均で48分だったそうです。フランスは2時間30分、スウェーデンは3時間20分。また、週に50時間以上働く割合は、日本は28%、フランスは6%、スウェーデンは2%です。
 企業の協力や働き方、生き方の見直しも、家庭教育にとても大きな影響があると思います。このことについても、ぜひご協力をお願いしたいと思います。

 子育てや教育は、損得で片付けようとするとさまざまな歪みが出てくるものです。多少効率が悪くてもゆったりと構え、穏やかに子どもに接していただいて、子どもたちの話に耳を傾ける。わたくしはそれが一番大事ではないかと思います。

 その子が幸せに人間らしく、人らしく生きる。未来を自分で開いていけるような、そんなおおもとの部分をつくってあげる。これが小学校や中学校、家庭での教育だと思います。そして、その礎をつくることが、わたくしたちが今、めざすべきことではないでしょうか。
 わたくしもわたくしなりの立場で一生懸命がんばりたいと思っています。保護者のみなさんや教育にかかわってみえる先生方、教育関係の行政のみなさん、あるいは働く仲間のみなさんも含めて、一緒に子どもたちを真ん中におき、子どもたちの健やかな成長のためにがんばっていきましょう。

意見交流会

保護者

 学校が勉強だけでなく、あらゆることを学ぶ場所であることは認識していますが、その上であえてお聞きします。親としては受験に適応できる学力を身につけてほしいと願うのも事実です。学習塾のようなテストに対応できる十分な力を備えることができるようにすることを学校教育の中で導入されるということをどのように思いますか。

齋藤さん

 塾は塾、学校は学校なので、それぞれ役割が違うと思います。1つ言えることは、塾はパーツの教育だということです。学校教育と塾とは、もともとめざすところが違うわけですから、別にどちらがよいとか悪いとかを論じても仕方がないと思います。それぞれがもち場を生かしてやっていけばよいと思います。

保護者

 先生方や子どもたちを見ていて、まったくゆとり教育になっていないと思います。むしろ本当にいっぱいいっぱいだと感じます。それを元に戻すことはできないのでしょうか。

教員

 さきほど、「ゆとりとふれあい」とありましたが、学習指導要領の改訂に伴う移行措置によって、学習内容が増加し、余裕もどんどんなくなってきている教育現場においては、どのようにゆとりを生みだしていくべきでしょうか。

愛教組教育部長

 子どもや学校、地域の実態に応じて教育課程を組み変えたり工夫したりすることにより、時間を生み出すことも1つの方法と考えます。学習内容が教科の枠をこえて扱えるのであれば、合科的に扱い、時間を生み出すことができるでしょう。また、知識・技能をしっかりと定着させるところ、じっくりと考えさせるところなど、学習内容によって取り組み方に軽重をつけることも有効でしょう。さらに、効率よくねらいに応じて学ぶことができるように教材の工夫をすることも大事です。わたくしたちが自主的で創造的な教育課程編成活動をすすめることも、子どもたちがゆとりをもってじっくりと学習に取り組むための1つの手だてになると考えます。

地域の方

 本来ならば、人を思いやる気持ちや感謝の気持ちなどは、地域の中で育てていくべきと思います。そのような中で、地域としては学校や子どもたちにどのようなことができるのでしょうか。

齋藤さん

 学校と家庭・保護者という段階での連携は比較的しやすいかもしれませんが、地域を含めた三者がどのように連携していくかとなると非常に難しいと思います。
 そこで、先ほども申しましたが、1つは地域ぐるみで取り組めることを見つけて、まずやってみることが大事ではないかと思います。さらに、地域の中で拠点になる場所や人も必要だと思います。1人でも2人でも、子どもたちのことや学校教育のことに関心をもっていただき、いろいろなところで応援していただくことが第一歩かと思います。

齋藤さん(まとめ)

 ゆとり教育の導入によって学力が低下した、子どもが勉強しなくなったとか、ゆとり教育になったから塾通いなどが増え逆にゆとりがなくなったとか、さまざまな見方や考え方ができるのですが、必ずしも直結しているとは思いません。もっと別のところで別の要因があるのではないでしょうか。
 社会全体の仕組み、保護者の方の働き方、核家族化の状況など、さらに多くの要因が複雑に絡み合う中で、時代を背景にして、家庭にも学校にも、子どもたちにもゆとりがなくなりつつあると思います。もっとダイナミックに社会的な背景や政治のあり方も含めて議論していく必要を感じました。
 それぞれの立場の者が尊重しあって子どもたちを育てていくのだという、根本のところにもう1回立ち返って、今後も力を合わせていきたいと思います。

カテゴリー:教育研究愛知県集会<特別集会>, 子どもたちの健やかな成長を    

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