子どもたちの健やかな成長を

学校・家庭・地域による教育環境の充実 -第66次

2016/10/23

 特別集会では、兵庫県立大学教授の尾﨑公子さんを講師としてお招きし、記念講演、参加者との意見交流を行いました。
 尾﨑さんからは、「子どもたちの健やかな成長をめざして 学校・家庭・地域による教育環境の充実」と題してお話をいただきました。本集会を通して、子どもたちの健やかな成長のためには、学校・家庭・地域が連携した教育活動が重要であることを改めて確認し合いました。

 記念講演
 意見交流 

記念講演:  子どもたちの健やかな成長をめざして
          学校・家庭・地域による教育環境の充実
講   師:兵庫県立大学教授 尾﨑 公子さん

子どもの声を聴く 

尾崎公子

 わたくしは、大学で「子ども環境論」という授業を担当しており、教育環境を充実させるためには、子どもの環境や子どもとのかかわり方を知ることが重要であると考えます。そこで、本日は、子どもとどう向き合えばよいのかということを中心にお話させていただきます。

 まず、みなさんに、子どもの声を聴くことができているかお尋ねしたいと思います。商業紙のコラムに、「お母さん、心できいてよ」という記事が載っていました。お母さんは、家事の片手間に子どもの話を聞いていたと思うのですが、そのとき子どもに、「お母さん、心できいてよ」と言われたとのことです。「きく」という字には、「聴く」と「聞く」がありますが、どう違うのでしょうか。「聞く」の方は、物理的な音をキャッチするという意味ですが、「聴く」の方は字の中に「目」や「心」があり、また「(じゅう)」がついていることからも、「目」と「心」と「耳」で十分に聴こうという意味を表しています。すなわち、音にならない、言葉にならない、そうした声なき声も目と心で聴きましょうというのが、この「聴く」の漢字の意味です。

 「子どもの権利条約」という条約があります。子どもの最善とは何かということを定めた条約であり、その中の12条に意見表明権という権利があります。子どもにとって影響を及ぼすすべての事柄に対して、子どもたちは意見を言う権利や、聴いてもらえる機会が与えられるという権利が、この条約の中には定められています。例えば、子どもが病気で、今後治療をどうすすめていくかというときに、お父さん・お母さんは、いろいろ悩みながら治療法を考えていくかと思いますが、子どもにはわからないから、かわいそうだからといって、子どもの声を聴かずに過ごしてしまうことがあるかと思います。確かに難しいことかもしれませんが、子どもはいろいろ感じているし、考えています。必ずしも、子どもの思い通りにはならないかもしれませんが、それでも子どもの声を聴く。そういうことが大事なんだということを、この条約では定めています。

 

子どもも社会の一員

 子どもの権利条約は、3つのP(プロテクション、プロビジョン、パーティシペーション)からなっていると言われます。プロテクションは、子どもを「保護」する。プロビジョンは、衣食住など必要なものを子どもに「提供」する。これらは、大人から保護される・提供されるというように、子どもは受身の存在として位置づけられています。それに対し、パーティシペーションというのは、子どもが「参加・参画」するという意味です。パーティシペーションには、パートという言葉が入っています。吹奏楽でもいろいろな楽器のパートがあり、そして一つの音楽をつくっていくというように、社会においても、子ども、若者、高齢者などそれぞれのパートが集まって一つの社会をつくっています。パートをもつ、つまり居場所をもっているということで、子どもも社会の一部分を担って、一緒に声を出して社会をつくっていきましょうという権利であります。このパーティシペーションの考え方が、子どもと一緒に地域をつくっていく、学校をつくっていくというときに非常に重要な概念になると考えます。

参画のはしご

 ロジャー・ハートというアメリカの学者がいますが、子どもの参画の見方についての指標をつくっており、子どもがどの程度社会に参画できているか、参画のレベルを8段階に分けて考えています。はじめは、何かのイベントにとにかく子どもがいればよいという「操り参画」や「お飾り参画」。次に、子ども議会などのように、大人がその意見や質問を考えて、子どもは言うだけというような「形式的な参画」。それらは、本質的な参画ではないということで「非参画の段階」として表されます。4番目になると、子どもたちに「情報提供と仕事の割り当て」があって、子どもがパートをもつという段階になり、5番目は大人主導ではあるものの、「子どもの意見聴取」の場がある段階になります。そして、6番目になると、「意思決定に子どもも参画」している段階になります。諸外国には学校理事会と言われる機関があり、成績や評価などについて、教員と保護者、地域の方に加えて子どもも参画して決めていくこともあるそうです。最後に、7・8番目は、「子ども主導の活動」、「子ども主導で大人を巻き込む」という段階であり、例えば、森の中に通常見かけないような鳥を見つけたのをきっかけに、この鳥を守りたいという子どもたちの思いから、大人たちが自然保護活動に巻き込まれていくというような活動例があります。

 

子どもとの向き合い方

 わたくしは、子どもと大人の向き合い方は、4つぐらいあると考え、類型化しています。大人と子どもが対面する向き合い方の他に、背中で子どもたちに自分の生き様を見てもらうという向き合い方もあります。また、大人と子どもが横並びに立ち、大人も子どもも同じ立ち位置で同じ目線で目標にむかって一緒に何かをつくっていくという向き合い方があります。最後に、大人が子どもの背中を見る向き合い方です。大人は、子どもの世界に入って行きたくなりがちですが、待つことを意識した向き合い方です。例えば、地域づくりを考えるときに、大人は子どもたちにいろいろなことを教えたいと思ってしまいますが、これは子どもを教えられる対象としか見ていないかもしれません。確かに伝承文化というのは、上の世代から子どもに伝えられるので、伝えられる客体ではありますが、一緒に何かを取り組むという同時代性というような向き合い方も頭の片隅に置いておかないと参画のはしごを登っていけないのではと思います。

 

自分の体験だけを絶対化して子どもと向き合わないこと

 人権意識調査を2011年に行いました。その項目の中で、「子どものしつけのためなら時に親が体罰をくわえることはやむを得ない」と尋ねた項目に対しては、意見が半分に分かれました。みなさんは、体罰をどうとらえていますか。しつけのためなら、やはり体で悪いことは悪いということを小さなときに覚えておくべきだから、体罰もやむを得ないのではないかと容認される方もいるのではないかと思います。わたくしが教える学生の中にも、体罰容認派が半分ぐらいいます。このような学生に、「体罰は、学校教育法で禁止されているからだめ」と言ってもなかなか納得しないため、なぜだめなのかということをゆっくりと話していくのですが、なかなかわかってはもらえません。なぜなら、体罰を容認する人は、自分が小さな時に叩かれた経験があり、親がそのようにしつけてくれたおかげで、今まっとうな自分がここにいると思っていることもあるのです。あるいは、学校生活の中で、とっても熱心な先生で、時には手を出されたけれども、それにより自分はがんばることができたから、時には体罰も必要と思っているのです。そのため、体罰はいけないという点だけで話をすると、自分が否定されてしまうことになるし、親を否定することになるし、尊敬している先生を否定することになるのです。よって、体罰はだめだと言うだけでは解決できません。

 重要なのは、体罰にかかわらず、自分の体験だけを絶対化しないということです。なぜなら、叩かれるようなしつけを受けなくても、善悪の判断がしっかりできる人もいるからです。わたくしが教えている学生の中でも、全員が叩かれているわけではありません。このことを考慮し、自分の経験を相対化して、いろいろな見方があるということを学生に伝え、改めてさまざまな角度から、体罰について考えることを授業で取り入れています。

 やはり、わたくしは叩くということは禁じ手だと思います。なぜなら、わたくしは、ある有識者による暴力の定義にもあるように、暴力を受けると人は、安心して生きる権利が奪われ、自分の力を信じる自信の権利が奪われ、そして、自分で選ぶ自由の権利が奪われると考えているからです。

 

被包感とは

 なぜいじめに気付かなかったのか、あるいは、自殺に至る程つらい思いをしている子どもの声がなぜ聴けなかったのか、もっと子どもへの感度を上げましょうというようなことは、よく言われることです。しかし、感度を上げすぎると、そのピリピリ感で子どもが声を出しづらくなってしまうこともあります。感度を上げることは大切なことですが、本日は、被包感(包まれている感覚)という概念を紹介したいと思います。

 これはドイツの哲学者ボルノーという人の言葉であり、自分の命が周りにいるほかの誰かや何かに包まれ、支えられ、つながっている感覚というように定義されています。大人が、問題や違反がないかと子どもを覗き込むのではなく、子どもが被包感を感じられるような家庭や地域をつくっていくことが大切であると考えます。この被包感が重要だと思ったのは、約20年前に連続児童殺傷事件が起きたときです。当時14歳の男の子が「透明な存在の僕」という言葉を使っていました。また、その3年後、バスのハイジャック事件を起こして人を殺してしまった少年も「透明な存在だ」というように、同じ言葉に出会いました。ここにいるのに誰からも認知されない、親や地域の人たちからも認知されないという思いを、この「透明な存在」という言葉は表しているのではと思いました。だからこそ、自分がつながっているとか、存在しているというような被包感を感じることができる場や環境をつくりあげていくことが、子どもの成長にとって最も重要だと考えるようになりました。

 

存在欲求の充足

 人が、ここにいていいのかと自分の存在を確認する、これは、居場所をもつということであると考えます。この居場所の「い」を、物理的に居るという「居」を使う場合と、誰かに必要とされるという「要」を使う場合があり、物理的「居場所」と心理的「要場所」と表現できます。いろいろなものをもつことで、所有欲求は充足されますが、いろいろなものに囲まれているからといって、幸せとは限りません。人が幸せを感じるのは、誰かから必要とされているときで、そこで自分の存在が確認できるのではないでしょうか。

 しかし、人間関係は単によいことばかりではなく、煩わしい部分があります。そして、近年わたくしたちは、煩わしい人間関係をできるだけ省略するようなライフスタイルをつくってきたのではないでしょうか。お金で買える物は、すべて商品にしてしまって、「ちょっとお願いね」というような人間関係がだんだん築きづらくなってきています。しかし、やはり自分の存在というものは、人とのかかわりの中でしか確認ができないのではないかと思います。

 「千と千尋の神隠し」という映画がありますが、これは単に主人公の成長物語ではなく、主人公の眠っていた「生きる力」が次第に呼び覚まされていく話であり、わたくしは、「エンパワメント」という言葉で置き換えることができると思います。一枚一枚、上着を取っていって、外皮を取っていって、自分の奥底に眠っているパワーにタッチすることが「エンパワメント」です。人間がもつ可能性とか感性、個性、能力、美、生命力といったポテンシャルは、受容、肯定、信頼、共感、愛情、尊重などによって芽吹いていくのではないでしょうか。誰もが本来このようなポテンシャルはもっているのですが、競争、無視、暴力、過剰な期待、差別、比較をされる中で、「自分はだめなんだ」というように、ポテンシャルにいっぱいバツがついていってしまう。すなわち、周りの環境によって、このポテンシャルが表に出るか出ないかということになると考えています。

 「あまちゃん」という朝の連続テレビ小説も、一見、主人公の成長物語のように見えますが、主人公が変わったのではなく、周りが変わったという話であります。周りが変わったからこそ、主人公のよいところが表にでてきたのであり、これも「エンパワメント」と言えます。東京にいた主人公は、だめな自分を映し出す鏡に出会っていたのですが、北三陸では違う姿を映す別の鏡に出会ったのです。ウルズラ・ヌーバーという心理学者は、いじめや虐待などは大きなトラウマになるが、ずっとつらい思いをして生きていく人と、そういう傷ついた体験はあっても前向きに生きている人がおり、その分岐点で、別の鏡に出会えるかどうかが非常に重要であると言っています。すなわち、子どもを囲む地域の環境で、子どもの生き方は大きく変わると考えます。

 よさこい踊りを取り上げた学生の卒論で、事例を紹介したいと思います。その学生は、一人の男の子を抽出しました。その男の子は、両親が離婚してしまい元気がなかったため、それを心配した母親が、その子をよさこい踊りのチームに入れました。よさこい踊りというのは、それぞれがパートをもって、みんなの力を合わせたときに一つのパフォーマンスができ、一つでも欠けてしまったら完全なものにはなりません。男の子は、自分のパートをもって、その踊りを完璧にこなしていき、みんなに承認されることで、徐々に明るくなっていきました。自分で達成感を味わうだけではなく、「よくがんばったね、すごいね」というように承認される経験・場があるということが、その男の子のエンパワメントになっていったのではないかと学生は分析をしました。自分のパートをもって、一生懸命やったという達成感、かつそれを他者からも評価・承認される場のように、子どもたちの存在欲求が満たされる場や経験が、とても重要になってくると思います。

 

自己受容感を高めるには

 「大学生における居場所と自己受容の関係」というテーマで卒論を書いた学生もいました。この学生は、大学に入って自己受容感を高めることができた人を抽出して、調査を行い、その中でも高校では自己受容感が低かった数人をさらに抽出して、どういう要因で自己受容が高まったのかを探りました。その結果、ありのままの自分を受け入れてくれる物理的な居場所や心理的な要場所を複数獲得したということがわかりました。わたくしの中で、それは一見想定内の分析だったのですが、調査結果をよく見てみると、恋人と一緒にいるときは恋人との顔、アルバイトではアルバイトの顔というように、無意識に違う自分を出しているということが共通項としてあることに気付きました。わたくしは、違う顔を出しているのなら、ありのままの自分でないのではないかと疑問に思い、調査した学生に尋ねてみました。その学生は、「違う顔を出すことについて、マイナスイメージで分析はしませんでした。なぜなら、違う自分を複数出せる場をもつことによって自己表現の幅が広がり、自己受容感を高めることができると考えたからです」と答えたため、わたくしは、なるほど、そうだなと思いました。誰だって家族に見せる顔と、職場で見せる顔と違います。だからと言って、マスクを被ってるとか演じてるというわけではありません。ありのままの自分の像を複数もち合わせながら、さまざまな場で映し出される自分の像をうまく結びつけ、自分、アイデンティティーというのをつくりあげることが成長なのです。

 

子どもをめぐる関係構図

関係構図

 では、これまでお話してきたことをふまえて、子どもが育つ環境について、「子どもをめぐる関係構図」を用いて紹介したいと思います。まずは、場所づくりが必要であり、そして、その場で何をしたかという体験が価値をつくっていきます。また、人が社会の中で生きていくためには、それぞれのルールがあり、自然があり、その中で、体験のみならず、創造活動もしていきます。このように、子どもをめぐる関係はさまざまありますが、子どもが健やかに成長するためには、これらの関係をうまく結びつけていくことが重要であると考えます。

 

 

学校も地域も元気に

 現在、学校はさまざまなことが求められるようになっています。昔は、学校から帰ってからも子どもたちには生活体験の場があって、社会体験や自然体験など、その年齢の仲間の中で体験したり学んだりすることができました。今は放課後の時間がない上に、遊べる場所も仲間も十分でないということで、思うように自然体験などができない状況になってきています。そこで、学校は何らかのアレンジを求められますが、学校だけでそれを充実させることはできません。だからこそ、地域の方々に関わってもらいたいのですが、地域からしても、昔はいろいろあったコミュニティが、今は衰退してきている状況にあります。したがって、学校と地域が協働して、コミュニティを調整したり再生したりするなど、子どもたちの教育環境を充実させていく必要があると考えます。そして、社会的な経験が希薄になっている子どもたちが一歩ふみ出せるような取り組みやプログラムをつくっていく必要があるのではないかと思っています。

 

意見交流

○ 保護者
 学校と家庭、地域が連携し、複数の目で子どもを見守っていく必要があるとわかりました。普段の生活の中で、子ども自身が満たされているかどうかのサインを見落とさない方法があれば、教えてください。

○ 尾﨑先生

 子どものサインの出し方はさまざまあり、声に出すときもあれば出さないときもあります。また、声に出さなくても目を見ればわかるときもあります。それに気付けるときと気付けないときがあるからこそ、複数の目で見ていくことが必要であります。

○ 教員

 わたくしは、中学校教員でありますが、子ども一人ひとりの声がしっかりと聴けているのか、そして、子ども一人ひとりのパワーを出させることができているのかということについて振り返ることができるとてもよい機会になりました。

 学校現場の中で、いじめがやはり問題になっていて、簡単にはなくならない問題です。早期発見、早期解決ができるように、本校でもアンケートをしたり、面談をしたりするなど、できるだけ早く対応できるよう動いているのですが、なかなかそういったアンケートや面談の中では声に出せないこともたくさんあります。一緒に子どもたちと生活をしている中で、発見ができるとよいのですが、なかなか気付けない部分もあり、そういった声に出せない子どもたちに対して、具体的に行うとよいことがあれば教えてください。

○ 尾﨑先生

 いじめに関することは、なかなか気付けないことが多くあり、大人には知られたくないと思う子どもたちの気持ちも十分に理解できます。わたくしが、いじめ調査の委員会をしているときに、心理学の方々とよりよい対策法ついて考えていたのですが、やはり声かけを続けることが重要だという話になりました。おとなしい子ども、SOSがなかなか出せない子どもなどいろいろいますがSOSが少しでも出せるようできるだけ声をかけることが大切です。また、「元気かな」と聞くと「元気です」としか返って来ないため、「調子はどう」というように、声のかけ方を工夫することも大切だという話が出ましたが、本当に難しいことだと思います。

 

 

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