子どもの目は輝いていますか -第65次
2015/10/18
特別集会では、早稲田大学文学学術院教授の喜多明人さんを講師としてお招きし、記念講演、参加者との意見交流を行いました。
喜多さんからは、「子どもたちの健やかな成長をめざして 子どもの目は輝いていますか -子どもにやさしいまちと学校づくりのこれから-」と題してお話をいただきました。本集会を通して、子どもたちの健やかな成長のために、学校・家庭・地域が連携して教育活動を推進していくことの重要性を改めて確認し合うとともに、今後のめざすべき方向性についてご示唆をいただきました。
記念講演: 子どもたちの健やかな成長をめざして
子どもの目は輝いていますか -子どもにやさしいまちと学校づくりのこれから-
講 師:早稲田大学文学学術院教授 喜多 明人さん
子どもの目の輝き
わたくしは以前、フィリピンからの帰国子女である女子学生の「日本の子どもたちの目は、輝いていない」という発言に大きな衝撃を受けたことがあります。
彼女がフィリピンからの帰国後、転入した公立中学校での掃除の時間、みんながきれいなところで快適に過ごせるよう一生懸命に掃除をしていたところ、周囲の子どもたちからの視線が少しずつ変化し、よそよそしくなったそうなのです。その原因を聞いてみると、周囲の子どもたちに「掃除を一生懸命やること」が「内申点稼ぎをしている」と思われていたからだそうです。フィリピンでは、多くのストリートチルドレンが、生活は苦しくても日々の生活をよくするために、いきいきと今を過ごしており、そのような姿を彼女はみてきたとのことです。彼女が「日本の子どもたちの目は輝いていない」と感じた理由は「ストリートチルドレンの目は生きていた。『自分で生きる』という輝きがあった。でも、日本の子どもたちの目は自分自身で生きているという感じがしなかった」からだそうです。
そこからわたくしは、「子どもたちが『自分自身で生きている』という目を本当にしているかどうか」という視点を、日本の子どもたちの現状を考える出発点にしようと考えたのです。
自分に自信のない日本の子どもたち
【資料】で示した内閣府の「子ども・若者白書」からは諸外国と比べて自己を肯定的にとらえている日本の子どもたちの割合が低いことがわかります。欧米諸国では自己を肯定的にとらえている子どもたちの割合が八割を超えているにもかかわらず、日本の子どもたちは五割以下になっています。とりわけ、日本の子どもたちの自己肯定感は、2000年を越えて急激に落ちてきているようです。日本の子どもたちの自分に対する自信のなさというものが、この統計にはよく表れています。
先日、ある小学校の学校行事を見学させていただきました。教員と保護者と子どもがともに一年間の総括を行うという授業をしていました。その中で気になったことは、教員や保護者の子どもたちに対する評価は九割近くが「よくがんばった」ととらえているにもかかわらず、肝心の子どもたちは、この一年間でがんばって力をのばしたと実感している割合が五割を切っていたことです。大人が思っている以上に、今の子どもたちは、自信をもって生きていないということがわかります。大人と子どもとの間で、なぜこんなにもとらえ方に差が生じているのでしょうか。
この問題を考えていくヒントがOECDの生徒の学力到達度調査(PISA)での理数系の結果にあります。当時、日本の学力は低下しているのではないかという議論のきっかけとなった調査です。わたくしが注目したいのは、数学や理科の順位が多少低下したことと学力をむすびつけるといった観点ではなく、この調査を行った参加国の中で、日本の子どもたちの意欲がとても低かったということです。「理科が好きですか」などという単純な質問結果と照らし合わせることで「日本の子どもたちは意欲はないけど、結果は出す」という特徴がみられました。
わたくしが教えている早稲田大学の学生も同じように自己肯定感が低く、その割合は60%程度です。早稲田大学に通う学生は、学力調査などでは高い得点をとってきているはずですが、自己肯定感については平均よりは若干高い程度で、欧米諸国には届かないという現状です。つまり、日本の子どもたちは意欲がなくても、親などの周囲の期待に応えてがんばってしまっているということです。
以上のことから、「周りのためにがんばって身についた力」というのは、自己肯定感に結びつかないということがわかります。自己肯定感というのは、本当に自分のやりたいことを目一杯がんばって、何か一つのことを達成したという経験によって身につくものだと考えます。早稲田大学の学生のアンケート結果からも、自分のやりたいことをこれから見つけたいという学生が圧倒的に多く、やりたいことを一生懸命やってきたという経験が少ないという現状があるようです。自己肯定感が低下している問題が、日本の子どもたちの「自分自身で生きていく力」の向上につながっていかないということが、今の日本の課題であると考えます。
自己肯定感と「子どもの参画」
わたくしは、その課題を解決するための手がかりとして、川崎市の取り組みに注目しています。2002年に川崎市の11歳から17歳の子ども4500人に調査を行ったところ、自己肯定感が高い子どもの割合は、72.9%という結果になりました。これはわたくしにとってたいへん大きな衝撃でした。これだけ高い割合で、自分に自信をもっていることはとてもすばらしいことではありますが、自己肯定感が低いという日本の子どもたちの中で、どうして川崎市だけ、このような結果であったのか、その理由をしっかりと調べる必要があると考えました。
川崎市は、これまで「子どもの参画」を支援していく事業にたいへん熱心に取り組んできた地域であることがわかりました。川崎市の条例によって、「子ども会議」で考えられたことが市長への提言もすることができるようなしくみもつくられているとのことです。さらに、市の「子ども会議」の下には七行政区ごとの「行政区子ども会議」があります。また、学校単位でも、「学校教育推進会議」というものがあり、学校教育に子どもたちを参加させるしくみがあります。このように「子どもの参画」を学校や地域、自治体などが連携し、全面的にすすめていくことが、子どもたちの自己肯定感を高めていくことと非常に深い関係があるということがわかってきました。
わたくしは、今の日本の子どもたちには自己肯定感を高めていくことが必要であり、そのためには「子どもの参画」を推進していくことがとても大切であると考えています。
エデュケーションの意味
ある先生から「エデュケーションを『教育』と訳したことは誤訳だった」との話を聞いたことがあります。教育、つまり「教え、育む」と訳したところから、日本の教育が大人主体になってしまったというのです。エデュケーションの本来の意味は、「引き出す」ということだそうです。つまり、子どもが生まれながらにもっている「生命力」や「自己形成力」を引き出すことが本来のエデュケーションの意味になるのです。
教育はよく植物に例えられます。植物は、同じように水や肥料を与えても、どれも同様に育ちません。それぞれの特性に合わせた育て方が必要なのです。これはエデュケーションの考えに近く、子どもたち一人ひとりに応じて、それぞれの子どもがもっている力を引き出すことが大切なのではないでしょうか。
わたくしは、今の日本の教育の現状として、指導することに重きが置かれ過ぎている傾向があり、子どもたちは本来もっている力を発揮しにくくなっているのではないかと考えます。これを改善していくためには、「子どもの参画」をすすめることが必要であり、子どもの意思で行動することをわたくしたち大人が支えていくことが大切になってくると考えています。
学校を子どもに返そう
「子どもの参画」をすすめるためには、これまでわたくしたち大人と子どもたちとの関係を、「教える」「育てる」といった指導的なとらえ方をするのではなく、子どもたちが本当に自分の意思でやりたいことを目一杯やれるようにするために、子どもたちへの「支援」や「サポート」を中心としたものに変えていく必要があると考えます。
北海道の十勝にある札内北小学校は、この考え方をもととした実践に取り組んでいます。この学校では、「子ども参加型」の学校づくりを推進しており、学校の基本的な目標を「子どもたちの自己肯定感の向上」としています。教職員のみなさんは、子どもたちの自己肯定感をいかに高めていくかということに真剣に向き合っています。なぜなら、自信を失い、受け身で自分から動こうとしない子どもたちの実態を何とか変えていかねばならないと、最優先に考えたからだそうです。そして、新たな学校づくりの標語として考えられた言葉が、「学校を子どもに返そう」というものです。「本来、子どもたちには力があり、学校のさまざまな活動は子どもたち自身の力で行える」という考えにもとづき、子どもたちが、自分たちの学校だと心から思えるような活動を増やしていこうという取り組みが始まったのです。
「待つ」ことの大切さ
札内北小学校では、子どもたちの力をどのように引き出し、子どもたちによる能動的な活動をどう支えていったのでしょう。そのキーワードは「待つ」ということでした。しかしながら、親も教員も、「待つ」ということが苦手です。とりわけ、教員は子どもたちにどれだけ指導することができたかということへ意識がむきがちです。そこで、札内北小学校では、子どもたちが自ら考え、活動を始めるのを「待つ」、そして、それを支えていくという実践に取り組んだのです。
子どもたちが考えた活動を行うために、子どもたちの代表が朝の打ち合わせに参加して教員にさまざまな提案をするそうです。例えば、一見問題のありそうな紙飛行機飛ばし大会などの企画でも、臆することなく提案をしていたそうです。はじめてこの学校に転勤してきたある教員が疑問に思い、他の教員に聞いてみると、「教えられるよりも、失敗から自ら学んだ方が子どもたちにとって本当の力になる。問題の多い企画であっても、子どもたちをサポートしていこう。そこから得るものは大きい」と言われたそうです。この学校の教員のすばらしいところは、問題のある企画であっても、失敗から学ぶことの大切さを重要視して「子ども参画型」の取り組みをすすめていることです。
このように、子どもたちの意見をできるだけ実現していくことで、「意見を言えば学校が変わる」ということを子どもたちが身をもって実感できることが大切なのです。教員が子どもの意見をその不十分さから簡単につぶしてしまえば、子どもたちは意見を言わなくなってしまいます。子どもたちが自分のやりたいことに対する思いをしっかり言うことができるようになると、自己肯定感の高まりに期待できるようになるのです。そもそも、教えたいという欲は、親も教員もたくさんあります。その欲を我慢することによって、子どもたちが自分から動き出して活動することにつながります。何か困ったことがあれば、相談にのり支えていけばよいのです。しかし、当然失敗も覚悟しなければいけません。「失敗させたくない」「失敗によって傷つけたくない」という思いが強くなると「待つ」ことができなくなります。子どもたちに失敗させないよう常に先を読んで安全な方向へ手を出し過ぎてしまうことで、今の子どもたちの自己肯定感が高まっていかないという状況になっているのだということを考えていかなければならないのです。
失敗から学ぶ
今の子どもたちは、失敗とかつまずきにものすごく弱く、別の表現をすると、打たれ弱い世代とも言うことができるのではないでしょうか。大人にとっては、ちょっとした失敗のようなことだとしても、今の子どもは、自分ではどうしようもない問題に直面したかのようにとらえ、自分で自分を見限ってしまう傾向があり自分自身を守れないのです。守るべき自分が育っていない現状があるとも言えます。この話題については、さまざまな議論になるかもしれませんが、わたくしとしては、子どもたちは、小さい頃からいろいろな経験を通して、多くの失敗をし、いくつもの壁を乗り越えていくことが必要だと考えます。多くの子どもたちが、周りの大人によって過剰に守られ過ぎている傾向があるのではないかと考えます。そのために、子どもたち自身で身につけていかなければならない「生命力」をのばしきれていないと考えます。守るべき自分というのは自分自身で育てるしかなく、それが「自己形成力」であり、その子がもっている「生命力」なのです。やはり、そこを引き出して育てていく、そうした機会を大切にしていくべきなのだと考えます。
わたくしが各地の教育研究集会などで必ず提言させていただくことがあります。それは、「こう教えたら子どもたちがこんなにのびたという実践報告ではなく、指導を我慢することで、子どもがものすごくのびた、自己成長したという実践報告があってよいのではないか」ということです。教員は「教える」ことが何よりも大切だと思う傾向がありますが、「教える」ことによって子どもの自己成長の機会を奪ってしまうこともあるという観点にも目を向けていただく必要があると考えます。「子どもには、物事を成し遂げる力も意志もある」という認識が大切です。子どもたちがさまざまな問題解決に取り組むときに、どうしても教員は、子どもが失敗することを心配して指導しがちですが、そこをぐっとこらえて「待つ」ことによって、子どもたちが自分たちの力でその問題を解決していくことにつながっていくのです。子どもたちが自分自身の力で解決することができれば、それが「達成感」につながり、「自己肯定感」の向上へとつながると考えます。教員は、困ったときにわかりやすく「教える」プロであると同時に、それを抑えることも一つの役割なのではないかと考えています。
子どもとともに学校づくりをすすめる札内北小学校の保護者の声を紹介します。この取り組みをはじめた頃は、子どもたちに対する甘やかしだとか、「待つ」支援は教員の単なるサボタージュだなどの声があがったそうです。例えば、子どもたちが自発的に運動会をつくりあげたときにはすごく時間がかかり、「教員が介入した方がよい」との声もあったそうです。しかし、子どもたちだけでいろいろな行事をやりきるという実践の意味がしだいに保護者へも伝わり、理解が示されるようになってきたそうです。「自分たちで、四苦八苦して道をつくってすすみ、夢を大きくもった方が、子どもにとってもよいのではないでしょうか。いろいろな面で今の時代は恵まれており、考えて行動するよりも、親や先生の指示通りに失敗せずにすすみ、困った時にも親が助けてあげることが多いような気がします。子どものためには自主性を尊重し、意見表明や参画をすすめるやり方がとても大切だと思うのです」という感想が寄せられるまでになりました。実はこの感想は、世界でも活躍する、ある女子スピードスケート選手を育てた保護者のものです。その方の教育方針は、子ども自身が自らの意思で自分らしく育っていく、それを周りの大人たちが支えていくと、子どもの力は無限にのびていくというものです。
わたくしは、世界で通用する人材を育成するためには、「子どもの参画」という考え方はとても大切だと考えます。今の子どもたちは、いろいろな評価のしくみの中で「自分はこの程度だ」とあきらめてしまう傾向、自ら限界をつくってしまう傾向にあります。そういう生き方ではなく、自分が本当にやりたいことを目一杯やっていくことで、さらに力は発揮されるのであり、そうした子どもたちの活動への支援が今こそ求められている時代ではないかと考えます。
教員支援・学校支援
わたくしは、今後の教育のあり方を考えていく上で、「子ども支援」という視点をもった教育論が必要な時代になると考えています。また、そうした「子ども支援」と同時に必要なことが、教員が全力で取り組むことができるようにするための「教員支援」であり、「学校支援」です。子どもの力を引き出すだけではなく、教員の力を引き出し、学校の潜在的な能力を引き出すことは、たいへん重要だと思います。
一方で、今のいじめ問題や暴力問題に対する学校の対応能力の限界というものも知っておく必要があると思います。今の子どもたちが抱えている家庭環境や生活環境はたいへん複雑化しているといえます。そのような部分に教員がどこまで対応できるかということを考える必要があると思います。こうした問題に対しては、福祉の専門家などと協力・連携しながら、本人への調査や、家庭内の状況も含めて柔軟に対応していく必要があります。しかし、教員の傾向として、問題を抱え込むということがあげられます。子どもたちにかかわる問題を解決するための手段の一つとして、「専門性を開く」という考え方もあるのではないでしょうか。そういう意味からも、福祉や心理の専門家などと協力して、子どもたちへの対応をはじめとした学校づくりをしていく時代になってきているのではないでしょうか。
わたくしは、川崎市を含め、いくつかの市町において「子ども支援」のシステムをつくるための条例策定にかかわらせていただきました。そうした中で心配に思うことが、「子どもの権利条約」を学校側がどうとらえているかということです。外圧的にとらえていないかと心配しています。学校としても、「子どもの権利条約」などの外からの風を受け入れ、異種専門職との連携・協働をしていくことも視野に入れて考えていく必要があるのではないかと考えます。
最後に、名古屋市の天白区にある冒険遊び場「プレイパーク」を紹介します。わたくしはまちづくりの原点は子どもたちが一番やってみたいことを実現する場所づくりであり、冒険遊び場のようなところだと思っています。関東にも冒険遊び場はたくさんあります。わたくしも学生を連れてフィールドワークに行くと、子どもたちの目の色の違いに気付かされ、「子どもの目は輝いていますか」というわたくしの今回の問題提起を思い返させてもらう機会となります。冒険遊び場の子どもたちの目を見たときに、自己肯定感を高めることはこういう子どもたちを支えていくことであると再確認させられます。
現在の学校の中では、子どもたちが自らやってみたいことを支えていく、すなわち「子どもの参画」をすすめていくことは難しい状況かもしれません。しかし、地域からも学びながら、これからの学校づくりにぜひ生かしていただきたいと考えています。
意見交流
○ 保護者
中学生の子どもからは、やる気はないけど結果は出さないといけないという姿勢が感じられることがよくあります。学校の工夫については、いろいろあることがわかりましたが、家庭で何かできることはないのかと考えさせられました。ついつい小言を言ってしまいますが、それでは何も変わりません。家庭でできることでよいヒントがあれば教えてください。
○ 教員
教員として自分は教え過ぎているのではないかと思いながらお話を聞かせていただきました。教員としても、一人の親としても戸惑うことがあります。それは、子どもが「やりたいことがない」と言う場面です。その場合は、いろいろな機会を与えて、様子を見る方がよいのか、何もしないというのも含めて、自分が好きに使える時間を与えていくのがよいのか、教えてください。
○ 喜多先生
やりたいことが見つからない子どもへの対応や、家庭でもなかなかやる気を出すことができなかったり、やる気はないけど結果は出していたりする子どもたちへの対応をどうすべきかという質問をいただきました。その答えとしては、やはり「待つ」ことを原則とすることです。そして、その子の力を信頼するということが大切だと考えます。実際には、個人差があるので、その子が本当にやる気を出したり、あるいはやってみたいことを見つけたりする時期は、それぞれの子どもによって違いがあるとは思います。わたくしは「子どもたちは待てば必ず動き出す存在だ」と思っています。だからこそ、子どもたちのやる気を引き出していくような支援やサポートを中心にすえ、学校でそして家庭や地域においても、そうした居場所や環境づくりをすすめていくことが大切であると考えます。
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