みんなで教育改革を

子どもと地域のかかわり -教育実践と子どもの最善の利益の視点から- (千里金蘭大学教授 吉永省三さん)

2010/05/11

~第27回教育改革拡大学習会より~

 第27回愛教組教育改革拡大学習会では、千里金蘭大学教授の吉永省三さんをお招きし、講演会を開きました。子どもたちのために、学校や地域が互いに支え合うことができる社会をつくっていくことの意義について認識ができ、今後わたくしたちが取り組むべき教育改革運動の方向性について学習を深めました。

子どもと地域のかかわり

 過去を振り返ると、「地域の教育力」や「地域で子どもを育てる」というのは、おおよそ3つほどの文脈が考えられます。1つ目は80年代、校内暴力で荒れ た学校への批判と同情をないまぜに、「もっと親や地域がしっかりしないと」という現実。2つ目は子どもたちが被害者となる事件や事故を通して、子どもの安 全・安心の対策を地域ぐるみで、という状況。3つ目は学校5日制の中で、子どものための社会教育や生涯学習の受け皿を地域で、というもの。こうした文脈を 通して、地域の教育力の低下を嘆く声とともに、その回復や創出が求められてきました。
 そのためには福祉や教育の公的制度を地域に根差して充実させることが必要ですが、新自由主義を掲げる政府は教育制度にも市場と競争、自己責任の原則、規 制緩和を導入し、社会的格差が広がりました。そうなれば国民的統合の求心力もなくなっていくから、新自由主義は国家主義的な新保守主義とも一体化して、上 からの国民統合をすすめようとします。こうした傾向下では、皮肉にも「地域で子どもを育てる」という掛け声によって、しんどい状況にある子育て家庭の親た ちが一方的に責められたり、孤立を深めたり、という状況も生まれます。
 本来、子どもたちは地域社会で多様な人々と出会い、そうして豊かに育っていきます。地域社会には、「子育ち」のためのエコシステム(生態系)としての機能があります。学校はそのエコシステムを構成する大切な要素なのです。

教育実践と子どもの最善の利益の視点

 80年代の「学校荒廃」の時代を通して、わたくしたちは、教員の子どもたちへのかかわりは力で押さえつけるのではなく、子どもの話を聴く―『支援的な受容と共感のかかわりの大切さ』を、身をもって体験したはずです。
 教育実践とは、客観的に子どもを観察・分析して、何か「手を打つ」ということではありません。まず教員が、子どもに対して願いをもつことの中で、子ども と向き合い、子どもと対話することで、めざす子ども像が見えてきます。子どもを変えようとするだけでなく、自らを変えようとする―〔つまり、子どもとの関 係性を、共同的な相互主体の関係としていく〕― その中で、学校を変えていくことができるのです。
 子どもの権利条約は、子どもの最善の利益(3条)を実現していくために、大人が子どもの話を聴くこと、すなわち子どもの意見表明・参加の権利の尊重 (12条)を求めています。何が子どもの最善の利益になるのかは、子どもの発達や環境、社会の状況などにより異なるから一律には規定できません。しかし、 子どもの最善の利益にアプローチする方法については、普遍化できます。それが条約の12条「子どもの意見表明・参加の権利」です。
 教員は、日々の子どもたちとのかかわりの中で、この12条を具体的に生かしていく実践者なのです。

子どもの最善の利益を実現する実践とシステム

 この「子どもの話を聴く」という実践は、教員だけでなく、すべての大人に求められています。だから「地域の教育力」や「地域で子どもを育てる」というの も、地域の大人たちがさまざまに子どもの話に耳を傾けるという関係から、豊かに創出されると言えます。そうした生態系の中に学校が位置づけば、おそらく子 どもも教員も、その本来の力をさらに発揮し合う(エンパワーメント)ことができるのではないでしょうか。
 たとえばフィンランドでは、教員は地域社会で尊敬される存在です。学校は午後の早い時間に終わり、その後教員は地域の人々の生涯学習の指導者(有償)と しても活躍します。そうやって専門職として、学校で子どもたちの教育に携わるとともに、地域社会にも参加し貢献しています。地域社会で、尊敬される関係性 があるのです。
 日本でも、教員が専門職として地域社会に参加する中で、地域の人々とともに子どもの豊かな育ちを支援していくことができるような、そうした相互の実践を支え合う、新たな社会システムが必要となっています。

カテゴリー:みんなで教育改革を, みんなで教育改革を →2022年以降の記事は愛教組連合ホームページへ    

このページの先頭へ↑