みんなで教育改革を

「モンスターペアレント」論を超えて -向き合う気持ちと共同性- (大阪大学大学院教授 小野田正利さん)

2009/05/12

~第26回教育改革拡大学習会より~

 第26回愛教組教育改革拡大学習会では、大阪大学大学院教授の小野田正利さんをお招きし、保護者と学校との正しい関係を築くことの必要性と、教育改革の方向性について学習を深めました。

保護者はモンスターではない

 2年ほど前から嫌な言葉が生まれました。「モンスターペアレント」。わたくしは「この言葉は絶対使ってはいけない」と一貫して言っています。「モンスター」とは、「化け物」という意味です。この言葉が急速に広まっていくことによって、全国各地で実に不必要な摩擦がいくつも起きています。まず、相手を「モンスター」だと考える姿勢は、態度に出ます。すると、まともに話ができません。それ以上に最大の問題は、教員の、保護者と向き合おうという気持ちが、しぼんでいってしまうということです。自分たちにも問題があったのに、そのことにまったく気づかなくなる。保護者の理不尽な要求のようであっても、実は教員のミスかもしれないし、今後の反省の糧にしなければいけないことかもしれないのに、そのことにまったく無反省になってしまう。それが一番怖いことなのです。

向き合う気持ちと共同性

 神戸のある中学校1年生の遠足でのことです。新幹線の新神戸駅に、8時半集合にしました。前の晩に子どもが、自宅で弱音を漏らしました。「わたしは8時 半に新神戸駅に行けるかしら」。これを聞いたときに、保護者がどういう行動をとるかが問題です。子どもの方を向くのか、学校の方を向くのかです。子どもの 方を向けば、「大丈夫。道に迷ったら人に聞けばいいの。親切そうな顔した人を選んでね」となります。そう言ってポンと肩を叩いて送り出せば、それを達成で きたときには、ほんのちょっぴりかもしれませんが、その子の自信へとつながっていきます。ところが、かわいそうだと思って学校の方を向くと、怒りの拳と なって、「どうして学校集合にしないの。安全は確保できるの。100%保障するの」となります。教員は、こういうふうに言われると、どうしてもその拳その ものを見てしまうことが多くなると思います。でもそれは間違いだと思います。一番重要な事柄は、どんな事実がこの拳を振り上げさせているか、拳とつながっ た根本に何があるか、ここを見て取ることができるかどうかということだと思います。それをぜひとも探してください。「うちの子どもが、電車に乗って一人で 新神戸駅に行けるかしら。学校の先生に聞いてみたい。相談してみたい」。そういう思いだって数%はあるはずなのです。しかし、どうしても学校に電話をする と、それが相談ではなく、怒りの拳になってしまう。それが今の時代なのだと思います。
 教育の目的は何かと問われたら、自立の自信をどう子どもにつけるかというところにあるだろうと思います。子どもを伸ばすことを考えませんか。ところどこ ろに教員と保護者がともに一致できる点があるはずだと思います。だとすると、ちょっと違った対応も可能になるかもしれません。
 教員は理屈で説明しようという傾向が強くあります。しかし、保護者には思いがあるのです。そこにはズレが生まれやすいです。それを自覚しておくだけで、 ずいぶん違った対応も可能になるのではないかと思います。やっぱり言うことから始まるのかも知れません。まず話しませんか。まず語りませんか。このことに 行きつくのだろうと思います。

教員に必要なこと

 生徒指導の問題も、いろいろあるかもしれませんが、明日は明日の風が吹きます。そう思って、よく寝て、すっきり起きて、学校に行って、誰かに会ったら 「おはようございます。みなさん元気ですか」と声をかけてください。子どもたちは、教員の姿を見ているのです。教員はモデルです。未来への希望の光なので す。教員にとって最も必要な資質は、はつらつとしていることだと思うのです。年相応のはつらつさを身につけていただきたいと思います。そして、定年まで元 気で。さらに、定年後も健康で。それを今日から胸に刻みながら、仕事を続けてほしいと思います。子どもたちは、教員が元気であることが、何より明日への活 力になります。その姿を見て、親は納得をするのです。悪循環の構図を好循環にするためのパイプは、教員がはつらつとしていることだと思います。

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